ねれないのでかいたはんせいしてない

教育

家の中で弟がとても粗野な発言をした。
注意をすると
「家の中では言っていても外では言わないので大丈夫」
と言い返す。


家の中で妹がとても粗野な発言をした。
注意をすると一切聞く耳を持たない。
注意を聞き入れない事についても注意をすると
「話が長いから聞かない」
「めんどくさい」
と言われた。
そしてなぜか母親が
「もうええやんめんどくさい」
「長くなるからもうこれでええやん」
「この歳で分かる訳がない」

「人には種類があって
学校の授業で先生の話を熱心に聞いている様子の生徒と
あまり熱心な様子でない生徒を比較しても
実は熱心に聞いている子の成績が悪くてあまり熱心に聞いていない子の方が
成績がよかったりするんだよ」
という。


上の文章を要約すると
僕は家の中で乱暴な言葉を使っても外では意識して使わないので大丈夫なので
家の中では乱暴な言葉を使ってもいいのだ。

説教は長いし、つまらなくて退屈するので聞きたくない。

この場はこれで収まるので問題は未解決のままとりあえず終わらせたい
めんどくさい
時間が勿体無い。

外見と様子また態度でその人のやる気、モチベーション、能力は分からない。
うちの子は聞いてない風に見えるけど聞いている
うちの子に限ってそんな事はない。

脳内変換補完宜しく、ニュアンスを拾ってくれれば。


僕が思うこと。

「潜在意識と顕在意識」

僕達は自分を自分でコントロールしている感じる「理性的なもの」顕在意識(表層意識)と
表に現れない部分として働く「本能的なもの」潜在意識(無意識)
によってコントロールされて生きている。

そして僕らは潜在意識(無意識)で生活をしている
また、人それぞれが持つ癖(無意識にしてしまうこと)も潜在意識のなせる技です。
癖は身体の動きとして現れる物だけではなく
「考え方」
「思い方」
「感じ方」
「物の見方」
にも癖はある。それを「心のクセ」というらしい。
情報元 http://www.limpid-globe.com/mental/subconscious/

家の中では暴言を言い外では言わないという事についてだが
説教では「家の中でやる事は外でもやる」と言う事で
ではなぜそうなるのかというと
家の中で何か嫌な事を言われると暴言を返す事を繰り返していると
嫌な事を言われると無意識に頭の中に暴言が出てきたり
口が勝手に暴言を返したりする
条件反射で反応が自動化されたりするから。
そして人間は習慣の生き物であるから
嫌な事を言われる=暴言を返す
のが癖になる。
癖は無意識なのだから治そうにも難しい
また別にそんな事はない癖なんて治せると言うのであれば
癖をつくる前に原因を治すべきであると思う。
無意識を意識で押せこめるのだからそれぐらい出来るはずでしょう?
出来たら苦労はしないのだけれども。


「人生は決断の連続である」

話が飛躍するようだけれど繋がっている
説教されると言うことはつまりあなたは今他人から見て不足している部分があるということだ
それは治さないより治した方がいいに決まっている事だと思う。
「話を聞く」「話を聞かない」が既に選択なのだ。
その瞬間自体にはあまり影響はないかもしれない。
説教や授業などでされる話を聞き流したり聞かなかったりしてテレビ見るもよし
惰眠を貪るもよし好きにするといい
しかしそれらは繰り返すと癖になる。
上で書いたように癖とは無意識だから意識して治すのは難しい。
頭が勝手に判断するので意識にないのだから。
毎回話を「時間が勿体無い」と言う理由で聞かないと
話を聞かないのが癖になってしまう。
人の話から意味、ニュアンスや用件重要事項などを聞き出す事が困難になる。
そして今君が「時間が勿体無い」と言って聞かなかった説教は説教を聴く為の説教なのだ。
そしてテレビを見ている君はとても楽しそうだけれど
それが後々の楽に繋がるかは分からない。
テレビを見て1年後3年後5年後10年後に役に立つのなら僕はずっとテレビをみるよ



「大多数の人間と少人数の人間と一般論」

うちの子は大丈夫。そんなはずがない。
話を聞くのと聞かないのどちらの方が人間的また社会的に優位であるかは
考えるまでもないと思う。
もし先生に授業してもらって態度良く授業を受けている生徒

態度が悪く聞いているのか聞いていないのか判断が付かない生徒がいて
どちらが好印象を持つのだろうか
話を聞いているのか聞いていないのか見抜く先生ならいいが
見抜けない先生なら不真面目な態度をとりながら実は話を聞いている子は
ただ損をするだけなのだ。
意味がない。

そして一般的な公立中学校で授業中に熱心に授業を受けている生徒と
そうでない生徒の成績や学力を比較すると実際にやるまでもなく
確実に熱心に授業を受けている生徒の方が優秀である。
つまり説教と授業の話とは違うが結局人から話を聞いているという点では同じで
聞く態度で優秀かそうでないかはまず推測がつくと思う。
または授業を熱心に受けているのはなぜなのか
成績優秀の原因は授業を熱心に受ける事なのか
それとも成績優秀が原因で授業を熱心に受けるのか
と言う事も調べてみてもいいかもしれない。
大多数は熱心に話を聞いている方が話を聞いているのだから
大多数と言えば70%以上は必要だと思うので70%の確率で
こどもの教育が成功するならそれでいいと思う。
わざわざ30%の低い確率にかけて
「うちのこどもは特別で話を聞いてるけど聞いてない振りをしてるだけなの!!」
なんてしない方がいい。
ちゃんと聞かせればいい。

「環境」

環境が人を作る
環境とはつまり毎日触れるものだ。人と物問わずね。
毎日接していると習慣になって無意識になる。
癖になるわけだ。
周りがゲームばっかしてたらそりゃゲームに興味持つでしょうよ
周りが勉強してたら勉強に興味を持つでしょう。
そういうこと。
毎日暴言吐いてりゃ癖にもなるでしょう


「人間は楽な方に流れるという事」

だって楽なんだもん。
つらい事より楽な方がいいでしょ
意識はつらい事をしたいと思っても無意識はそうは言ってない。
だから渋ったりする。
これとあれどっちにしようかなと迷っても結局初めに
「これがいいかなあ」と思っていた方を選ぶと思う。
後から情報が追加されたり変更された場合はこの限りではないと思うけれどね。


「くそどうでもいい結論」

結論を出す前に「めんどくさい」で思考放棄する癖がいけない。
その癖をつけた結果が大多数のただの人。大衆なんだと思う。
でも「めんどくさい」で思考放棄するのも分かる、だってめんどくさいもん。
ゲームはその考えるのがめんどくさい人が時間を潰す為にやるもの。
または快楽を得るためのもの。
思考放棄の癖だけはつけてはいけない。
空っぽな人間で何も人から学ばず考えない人間ほど見て醜いものはないと思う。


大学の方で学ぶ理由の一つに父との学力差での見縊りなくしたいというのがある
大学に進めたら卒業し大学院に行くつもりでもある。
でも僕は学力なんて必要ないと思ってる。
結局学歴とは社会における判断基準のひとつに過ぎない。
しかし全世界で判断基準にし得るだけの情報は与えてくれる。

勉強が出来ると言う事は
テストという期日までに必要な事を覚えれると言うことだ。
外国語は貿易で必要で数学は理論的な考えを養う事ができ
国語は一々辞書を引く手間が省けて文章から意味を引き出す事ができる

その生徒がサボりたがりだったり遅刻が多く時間にルーズだったりする人を
重要な取引先に向かわせるだろうか?
真面目で一度も学校を休んだ事がない生徒と時間にルーズだった生徒どちらを雇うのか?
学歴で人を会社で使えるかどうかを判断する事はできるだろう。
しかし学歴が低いからと言って生きていけない訳ではないのだ。
生きてはいけるだろう。
僕は学力や学歴が欲しいだとかそういうのではなく
それを手に入れる過程で得られるものが欲しい。
そしてそれらは別に勉学だけで得られるものではないし
人をたった一つの物差しではかれるわけがないのだから。
けれど、学歴による傾向があるのは認めよう。
だからと言って低学歴の人をばかにしていいことにはならない。
理由も事情もあるだろう。
人を低学歴の一纏めのカテゴリにカテゴライズして見下すその精神が許せない。
高学歴だったら人をバカにしたり見下していいのか
と父の態度をみていつも思っていた。
おかげで僕は高学歴=父のような低学歴の人を見下すような人間だと思えるような時がある。
けれどそんなことはないはずだ。
まず父より学歴で上回り見返したい
そしてそれを手に入れた時何が得られるのかそれを感じたいと思うのだ。

つまり

人の話を聞けよ後で僕みたいに後悔するぞ
家の中でやる事は外でもやる
教育って難しいね
正論だがお前の態度が気に入らないということでした。
別に親と喧嘩とかしてないです。昔からの考えだから。
僕の知性と学力が低すぎるんだがなんとかならないのか。