雑記

教えてもらうと言う事と教えると言う事
なぜ競技にトレーナーが必要なのか勉強に先生や講師が必要なのか。


答えは考えなくていいからだと思う。


お金を払うだけで思考を放棄できるんだからこれほど素敵な事はない
考えなくていいから楽だ
ばかにも聞こえるけれど、とても重要な事だ。


問題は何処まで盲目的に従って何処まで身につくかということだけれど。


なぜこのトレーニングをするのかということを考えずにトレーニングをする事はとても愚かしい事だ。

例を挙げるとすれば最も誤解されているであろう基礎の筋トレだろう。

手軽に出来る筋トレと聞くと代表的な 腕立て 腹筋 スクワット を思い浮かべ
また早くやった方が、そして数をこなした方が効果があると思っているだろう。
実際中高の生徒の大半はそうだ。
軽く8割は何の知識もなくそう思っている。

実際僕が入った高校の陸上部では軽々しく腕立て100回を一人10回ずつ数えて集団でやらせていた。
皆でやるのだからそれは皆数えるのが早くとてもいい加減だ。
回数と早さだけに目がいって本来の筋トレを全く理解していないゴミみたいなトレーニングだ
やる意味がない。

腕立てだと

腕立てで鍛える筋肉は大胸筋
胸を絞るようにする事
速度は出来る限り遅くして負荷を高める
息を吸いひきつけて吐きながら遠ざける
(これは本によって色々あったような…)
後は高負荷にする為にスーパーセット組むとか壊した筋肉の為にたんぱく質取るだとか
まあ栄養学的な面。

これらの事は完全に応用なのだ
実際こんなの知らなくても筋トレは出来る。
けど効果を大きくしようとすると確実に必要になってくる
これらを知ろうとすると競技で使う筋肉とその動き名称
筋肉の作り方そして鍛え方について勉強しないといけない。
良質な本をまあ軽く3冊読んで頭に入れて実行しないといけない訳だ。
その時間が勿体無い。
まず競技者は競技に関する事を全て理解していないといけないとは思うが
その理解する時間が勿体無い。
そして気がつくのが遅いとそれまでに掛ける時間が勿体無い。
これは勉強でも言える事なのだろう
だから
その知らなかったから捨ててしまった時間が勿体無いので
金を払って教えてもらう訳だ

君がそれを勉強して完全に理解するのは時間が掛かり回り道をしてしまうから
あらかじめ知っている僕が直接教えてあげるよ。
これでもっと専念できるね
と言う具合にだ。

だから僕は教えてもらうのに掛かるお金はどれだけ掛かっても安いものだと思う。
それが本当に教える事に掛かるお金ならだけどね。
塾みたく通わせて金もらおうなんて考えるのは嫌だ。
まあでも繰り返さないと分からないものもあるらしいからなんとも言えない
僕はその繰り返しで少しずつと言うのが嫌いで
塾に行ったら必ずこの英文を訳せという内容の勉強を無駄に感じて仕方がなかった
1、2時間掛けて先生と一緒に文を訳してこれで勉強なのか
こんなの一人でも出来るんだから別に要らないし
先生じゃないと出来ないような勉強がしたいのにと思った。
かと言ってじゃあ一体何すればよかったのかと聞かれると僕にも分からない。
ところで僕は選択問題が大好きだ。
一度解けば2回目は確実に×が○になるからだ。
そして意外に覚える。
多分覚えやすいか覚えにくいかの差だとは思う。
漠然とこれ覚えろと言われても僕は覚えられない
それを合ってたか合ってなかったか
○か×か1234これらのどれでしょう?
と言った予備知識がなくてもとりあえず解けてしまいそうな感じもいい
後で答えを見てああそうだったんだ実は2だったのか
じゃあなんで?どういうところからそれが分かるの?
1はこうこうこういう理由で違う
2は何々がこうだからはずれ
みたいな感じでもうその場で結論が出ている
記述式はもう何処から勉強すればいいか分からない。
解答の説明も何々が何々だったからとかまたこれが正しいと文章が張ってあるだけ

予備知識がないまま解けるってのがすきなのかな

国語も事前に勉強せずとも問題に答えがあるんだから解けばいいだけだしね。
まあ覚えなきゃならないのもあるけど本なんて読んでて苦にならんし。

この理論で行くと数学とかも得意になっていいはずなんだけどなー


先生に払うお金はそれ相応の価値がある
その人が掛けた時間と経験による結論を時給っていうお金を払うとくれるんだから
時給払って何年も掛けて出た結論を教えてくれるなら安いよねという話。
目に見えて解ける解けないが分かる選択問題はいいなって話。

それだけの話

結局独学で勉強出来るけどきっかけと習慣をつける為
選択問題というか勉強しろ
それだけなのかもしれないね。